バチ当たりのことを書くようだが、元旦に近所の神社に初詣に行ったところ、
去年の破魔矢などを炊き上げるための集荷場(?)があった。
神社仏閣からいただいたものを、引き取ってくださり、
こうしたお炊き上げをしていただけるのはありがたいことだ。
しかし、そこには注意書きがあり、
神社のものしか受け付けない、
お寺など他の宗教のものや、お正月関係のものもNG、とのこと。
集荷場のそばには二名の方が立っておられ、チェックしておられるようだった。
私は炊き上げをお願いするものを持っていなかったので、
実際に断られたわけではないが、
宗教の異なるものは難しいとしても、
もう少し鷹揚に受け入れても良いのではないだろうか。。。との思いをもった。
神社仏閣に関するもの、日本の年間行事に関するものを
ゴミとして廃棄するのは、無宗教であったとしても、信心する心が痛むのだ。
そのあたりを、もう少し広く受け止めていただけないものだろうか。
おそらくそれは、この神社の神様が鷹揚でないわけではなく、
この神社を管理する人間の心が限度を決めているのだと思う。
もしかしたら、ごみなどを一緒に持ってくる不届き者がいて、
お困りになったのかもしれない。
なので、一概に心が狭い!と決めつけるのも早計であろう。
と思いつつ、元旦から、なんというか寂しい気持ちになった。
同時に、そうした狭量なことを自分もしてきたな、しているなと反省した次第。
今年の目標は人間的成長。
神様が鷹揚な心とはどういうものかと、身をもって教えてくださったのだろう。
そうはいえ、仕切り直しと、別の神社にお参りに行ってきた。
多摩川浅間神社。
ここにも炊き上げの集荷場があったが、
宗教の異なるもの以外は受け入れてくださるとのこと。
ありがたいことだ。
松の内を過ぎたら正月飾りなど持参し、多摩川浅間神社に改めてお参りしたい。