2020年03月17日

神聖ローマ帝国とハプスブルク家

ウィーン・プラハの冥途の土産日記
番外編
⑴ http://bouchukan.seesaa.net/article/473814926.html
⑵ http://bouchukan.seesaa.net/article/473815467.html
⑶ http://bouchukan.seesaa.net/article/473815541.html
⑷ http://bouchukan.seesaa.net/article/473869129.html
⑸ http://bouchukan.seesaa.net/article/473980766.html
⑹ http://bouchukan.seesaa.net/article/473983712.html

オーストリアと言えば、ハプスブルク家。
ウィーンではハプスブルク家の豪華な建物や家具食器、芸術品など
これでもかーーーというほど拝見することができました。

では、なぜハプスブルク家は強いのか。
いつから強いのか、と言うのを、調べたり、現地でも学んだので、
忘れないように、要点だけメモメモ・・・
以下はWikipediaと現地で学んだことを混合してます。

ハプスブルク家(ドイツ語: Haus Habsburg)とは、
「現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)の貴族。」

神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)の皇帝位を中世以来継承、
これで長い間安泰だったわけです。

神聖ローマ帝国とは、
「現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在していた国家。
 9〜10世紀に成立し、1806年まで続いた。西ローマ帝国の後継国家を称した。」

神聖ローマ帝国の皇帝とは、
「ローマ教皇に支持された皇帝」 とのこと。

安泰と簡単に書きましたが、繰り返される戦争で、そうは容易ではない。
1806年ナポレオンの猛攻撃により、
フランツ2世は神聖ローマ皇帝から退位し、帝国を解散。
彼が最後の神聖ローマ帝国の皇帝となったわけです。
その後フランツ2世は「オーストリア皇帝」フランツ1世に。

1914年、皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が
皆に行くなと言われる中、ボスニアのサラエヴォに出かけ、
セルビア人青年に暗殺(サラエヴォ事件)。
これにより第一次世界大戦がはじまった ということだそうです。

と、いろいろ興味を持って調べれば調べるほど、疑問が出てきます。
日本と異なり、民族、宗教、国家といくつかの要素が絡み合っているので、
一筋縄ではいかないですね。

戦争が繰り返されるからこそ、
「人生は、ユーモアとワインと音楽があればよい」が
染みてきます。

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