2019年03月05日

築地はかつて外国人居留地であった

知人のお見舞いに聖路加国際病院に初めて行った。

立教大学の濱田先生より、
立教大学と聖路加病院は深いつながりがあることを以前から伺っており、
https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/chapel/2018/mknpps00000088cu.html

歩道横の地図で、「立教学院発祥の地」を確認できた。
その近くには、
「蘭学事始地」と「慶應義塾発祥の地0」もある。

IMG_0949.JPG


その地図の横には、もう一枚地図があり、
「明治学院発祥の地」
「女子聖学院発祥の地」
「青山学院発祥の地」など、ほかにもいくつの学校が生まれているようだ。

IMG_0948.JPG


調べると聖路加国際病院のあたり、すなわち現在の築地や明石町は、
築地の魚河岸が正式開設された1935年(昭和10年)以前は、
「江戸時代から続く本願寺と武家屋敷の町、
 そしてもうひとつの顔が、明治初年に出来た外国人居留地の街でした。」とのこと。

引用こちらから。
http://www.nikkanhc.co.jp/tsukijisampo/

「築地の居留地には主にキリスト教の教会堂が集まり、
 宣教師も居住したため、
 それに伴いミッションスクールが多くつくられました。」とのこと。

また、
「豊前中津藩の中屋敷がありました。
 藩医の前野良沢は江戸後期にこの地で「解体新書」の翻訳を完成させたため、
 蘭学起源の地ともされています。」

なるほど。

「さらに後年、藩士の福沢諭吉が1858年(安政5年)に屋敷内で開いた蘭学塾は、
 後に慶応義塾となりました。」

とのこと。

ちなみに、「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭の屋敷跡もこのあたり。

あのあたりを歩いていて、時空のねじれに入り込んだら、
会いたかった歴史上の人物に会えるかもしれません。

そんなこんなで佃大橋から見える勝鬨のマンション群。
IMG_0951.JPG

お江戸の街は美しいねえ。
posted by H.A at 05:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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