自宅で映画鑑賞はいかがなものか、とブログで書いた舌の根も乾かぬうちに、
ついNetflixで観てしまった映画「ヘルタースケルター」。
公開時の2012年時点では映画館に行けないので、漫画を読んでいるようだ、私は。
http://bouchukan.seesaa.net/article/284803483.html
美しいエリカ様を思う存分堪能できる映画であることは間違いない。
さて、同映画はテーマが深く、
外見の美しさに固執することによる自己否定が描かれていると私は思う。
先日「踊るさんま御殿」に、今を時めく有村架純ちゃんの、
お姉さまが出ていた。
彼女はかわいそうなまでに外見に固執し、妹と比較し、自虐的に自己を貶めることで
周囲の「そんなことはないよ、かわいいよ」の言葉を求めてすがっている。
同時に「華麗なるギャッツビー」も思い出した。
歴然たる貧富の差のある社会のひずみの中での、お金持ちだけど満たされない人間が描かれた映画だ。
(この映画のテーマはもっと深いかも、かつ人により受け取り方が異なりますが)
「ヘルタースケルター」の映画の中で、
若いことは美しいが、美しいことが若いこととはイクオールではない、のようなセリフがあった。
これ男子で考えてみたらわかりやすいかも。
イケメンが皆もてるわけではないし、ハッピーかどうかはわからない。
外見やお金に捉われていることが自らを不自由にしていて、
自らを貶めて、不幸にしている、ということに、気づいたときに、心が自由になるのかもしれない。
ね、などと真面目に考えてしまった日曜日の朝。
2017年09月03日
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