2011年04月17日

昭和の日本の家族の話

先日、電車の中で懐かしい人に声をかけられた。
20代のOLの頃に習っていた茶道(裏千家)の教室で、先生の一番弟子だった女性だ。

当時、茶道の教室では、新年に新しい袱紗を購入していた。
袱紗が数枚、箪笥の中にあることより、私は数年は通っていたのだと思う。

その教室は、土曜日の朝10時から夕方5時までの間で、
自分の都合の良いときに行けばよい、というものだった。
一日を有効利用したかった私は、朝10時には伺っていた。
他の人は、午後からが多かったため、
私は自然と、先生のマンツーマンレッスンを受けることができた。

その先生は60代の女性の方で、所作が美しく、物腰も物言いも穏やかで、
同じ空間にいるだけで、清らかで荘厳な気持ちになれたものだ。
私は、その先生が大好きだった。
特に、その先生のご家族の話を伺うのが大好きだった。

先生は、銀行マンだったというご主人や、
すでに成人され独立されている長子のご子息、
嫁いで行かれたお嬢様の話など、
折に触れなさってくださった。

一昔前の日本の家族が皆そうだったように、
当然先生のご主人は家事や子育てなど一切なさらない。
先生曰く、
「子どもが小さいころにね、家族で出かける準備をするでしょ。
 私が二人の子どもの世話であたふたしていても、
 主人はね、悠々と煙草を吸っているだけなのよ。」

しかし夫婦仲がよくなかったかというとそうではない。
「主人が銀行員だったころはね、毎日お弁当を作っていてね。
 たまに仕事で外食したら、『おなかがすいた〜』って帰ってくるのよ。
 お弁当でないと、お腹が満足しないみたい。」
と話される。

それ以外にも、大学卒業後早々に嫁ぐことになったお嬢様が、
結婚式の前日に母親である先生のお布団にもぐりこんできて、
いろいろな話をしたことなど、
茶道のレッスンの合間に伺ったものだ。
普通の家族の話ではあるが、聞いてて心に優しい話だった。

私が言うのもおこがましいが、茶道というのは、
日本のあらゆる文化の総合体だ。
お点前、それに伴う茶器や茶筅などの道具、茶花、建物、歴史・・・
学ぶには膨大だ。
そうした茶道の世界と、先生の家族とが、微妙にマッチしていた。
まだ若かった私は、“生活の中の文化”を感じることに、喜びを見出していたのだろう。

いつの頃だったか、「次回はお休みをいただきます」と
先生にお伝えしたことを、
先生が「あら、そうだったかしら」とお忘れになることがあった。
そうしたことが何回か続いた。

先生もお年かな?と思っていたら、
体調を崩され、教室が何回かお休みとなった。
間もなく、お亡くなりになったと連絡が来た。
くも膜下出血か何か、脳の血管の病気と記憶している。

お通夜で、先生のお嬢様にお会いした。
先生に良く似た丸顔のかわいらしい女性だった。
茶道の教室で、先生はいつもお嬢様の話をなさっていました、と少しだけお話をした。
お嬢様のお腹は大きかった。
お母様がおられないなかでの出産、育児はどれだけ不安だろうかと慮られた。

茶道教室の友人が言うには、そうした家族の話を先生から聞いたことがないらしい。
生徒数が多い時間であれば、指導に追われ、家族の話などしている暇はないだろう。
先生の家族の話は、朝一番に行っていた私の最高の特典だった。

その後、茶道の教室は、冒頭に書いた一番弟子の方が先生となり、続けられた。
私も継続して通っていたのだが、出産・育児で時間的に余裕がなくなり、やめることとなった。



あれから時が経った。
お通夜の時に、先生のお嬢様のお腹にいた赤ちゃんは、
今は大学生くらいになっているだろう。

私はお点前の所作は忘れてしまったが、
先生から伺った家族の話は、
美味しいお抹茶と和菓子を味わう度に思い出す。

なみなみのお抹茶.jpg

お抹茶をいただくのは今でも大好きです。
たっぷり点てて、カフェオレのようにいただきます。

茶室があつらえられた先生のご自宅に、もう一度伺いたいものです。
posted by H.A at 06:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 追想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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