先般とあるお店で、私があるものを持ってきたことに対して、そこの若い女性スタッフが、
「持参されたのですね」
と言った。
「持参される」
若い女子としては、敬語として使ったのだと思う。
が、この使い方は間違っている。
そもそも「持参する」というのは「持ってくる」の謙譲語だ。
謙譲語に「れる・られる」という尊敬の意味の助動詞を付け加えても
尊敬語としては使えないし、間違った使い方だ。
(「拝」とか「参」がつくのは謙譲語です)
言うならば
「お持ちになったのですね」とか
「持ってこられたのですね」だ。
ということを、その若い女子に教えてあげようかと思ったが、やめておいた。
しかし、あれから1週間近く経つのに、「持参される」が耳の奥に残っているような気がする。
敬語というのは難しい。
若い女子でなくても、いい年をした大人が間違った使い方をしていることはよくある。
当然私も間違うし、間違ったことに気付かないまま使っていることもあるだろう。
特に緊張する場面においては。
何人か前の首相が「美しい国」ということを掲げていたが、
極力「美しい日本語」を使いたいものだ。
それは何より「正しい日本語」でもあろう。
2011年02月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック