2010年11月27日

Publish or Perish

大学は大衆化されたといっても、その社会的役割というのは変わらないと常々考えている。
短大も、2年と時間が短いだけで、本質は大学と一緒だろう。
しかし、あるコミュニティの中にいると、
「大学」に対する私のとらえ方は、マイノリティのようだと思うことが多い。
そこで、気になっていた『大学教授の資格』(2010)松野 弘著 NTT出版 を読んだ。

これは、社会人から安易に大学教授になるという仕組みについて疑問を呈したものであるが、
高等教育機関である大学の歴史、国内外の相違を踏まえたうえで、
大学の意義と役割、
そして、そこで働く常勤の大学教授(准教授も講師も含め)の仕事について、
強くメッセージを発したものだ。

そのメッセージとは、大学は学問を行う場であり、
教授は研究をし、それをもとに教育をする、という至極当然のことだ。
(僭越ながら、私も全く同意見だ)

至極当然のことを、こうして述べないといけないくらい、現在の大学は研究の場ではなく、
たとえば、就職のための専門知識に注力する「就職に強い大学」のPRが、
社会に向けてなされているということだ(p.114)。
それが大学のイメージを左右したりもする。

同書には、1886年に初代文部大臣の森 有礼が、
大学は「学問の場所」、高等学校は「半ば学問、半ば教育」、中学校・小学校は「教育の場所」と
説いた、と書かれている(p.151、勝田・中内[1964:96]からの引用)

そう、大学は学問の場なのだ。

にも関わらず、1985年に大学設置基準が改正されたことにより、社会人型教員が増加している。
(私もその恩恵にあずかった一人だ)
大学は学問の場なのだから、
「社会人から大学院をめざす人たちは、研究業績を重ねていくとともに、教育者としての自覚をもち、教育のための考え方を経験的に学ぶ必要がある」(p.144)とする。

もちろん研究業績を重ねていくのは、社会人型教員だけでなく、大学に勤務する教員のすべてに相当することだろう。

それを同書では、以下の格言を用いて説明する。
Publish or Perish
これは、大学教授を評する有名な格言らしい(p.91)
日本語では、
「著作や論文を発表せよ、さもなくば、消えよ」ということ(p.92)。



同書を読んで、安心した。
私の大学に対するとらえ方は、マイノリティかもしれないけど、間違ってはいないと改めてわかったからだ。



Publish or Perish
自分に言い聞かせよう。
posted by H.A at 05:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なかがわ@(元)亀ゼミ生です。

"Publish or Perish"の言葉、私が大学院生の頃にも聞いた事のある「格言」です。
この言葉を初めて聞いた時、「とても重みのある言葉だな」と思い、考えさせられた事を思い出します。

因みに、"Publish or Perish"をコンサルティング業界に身を置く人間向けに書き換えるならば、

"Intellectual Fight or Perish"
(知的闘争をせよ、さもなくば去れ)

になるかも知れません。

なので、私の場合は、

"Publish or Perish"
"Intellectual Fight or Perish"

の2つを念頭に置きつつ、日々の仕事、そして学問(我苦悶?)したいと思います。

蛇足、失礼致しました。
Posted by なかがわ ともひさ at 2010年11月29日 01:17
なかがわさん
コンサルティングは,知的闘争に加え,人間力なども必要でしょうから,研究よりも複雑性が加わりますね。
またお会いしましょう。面白い話を楽しみにしています!
Posted by H.A at 2010年11月30日 07:46
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