仕事先、3時ごろ小腹がすいた。
売店でパンを物色するも、この時間に炭水化物のパンを1つ食べるには
年齢的に躊躇する。
いつもそれ以上の超カロリーのモノを普通に食べるにもかかわらず、
なぜかその時は、慎重になった。
と、小さなパンが4つ入っている商品を発見。
たまたま横にいた1年生に、一緒に食べようと声をかけ、テーブルへ。
と、隣のテーブルに、可愛い可愛い二年生ゼミのゼミ長と副ゼミ長。
パンは4つ。
一緒に食べようと、一人一つずつ小さなパンを食べた。
パンはパサパサして、そう美味しいものではなかったが、
こうして複数でわいわい食べると「美味しい時間」になる。
と、パンを一つ食べるのに、カロリーの配慮をしたその夜、
同僚との食事会あり。
結局、結局、夜中に、締めのラーメン。
ラーメン食べたし、しかし夜中のラーメンは中年の身体に悪い。
という中での、中庸最適解として、ラーメン一杯を麺多めにして、3人で分けて食べた。
美味しかったし、会合は楽しかったが、
夜中のラーメン摂取の罪悪感がぬぐえないまま、翌朝。
相互のお礼ラインの一つに、
「締めのラーメンは、うまかったすね」のメッセージあり。
確かに!
罪悪感は、「美味しい時間」による精神的満足感に吹き飛ばされた。
二日後の今朝の体重計の数値は、現状維持。
「美味しい時間」は、終わり良ければ総て良し。