2016年01月04日

鷹揚な心

バチ当たりのことを書くようだが、元旦に近所の神社に初詣に行ったところ、
去年の破魔矢などを炊き上げるための集荷場(?)があった。
神社仏閣からいただいたものを、引き取ってくださり、
こうしたお炊き上げをしていただけるのはありがたいことだ。

しかし、そこには注意書きがあり、
神社のものしか受け付けない、
お寺など他の宗教のものや、お正月関係のものもNG、とのこと。
集荷場のそばには二名の方が立っておられ、チェックしておられるようだった。

私は炊き上げをお願いするものを持っていなかったので、
実際に断られたわけではないが、
宗教の異なるものは難しいとしても、
もう少し鷹揚に受け入れても良いのではないだろうか。。。との思いをもった。
神社仏閣に関するもの、日本の年間行事に関するものを
ゴミとして廃棄するのは、無宗教であったとしても、信心する心が痛むのだ。
そのあたりを、もう少し広く受け止めていただけないものだろうか。

おそらくそれは、この神社の神様が鷹揚でないわけではなく、
この神社を管理する人間の心が限度を決めているのだと思う。
もしかしたら、ごみなどを一緒に持ってくる不届き者がいて、
お困りになったのかもしれない。
なので、一概に心が狭い!と決めつけるのも早計であろう。

と思いつつ、元旦から、なんというか寂しい気持ちになった。
同時に、そうした狭量なことを自分もしてきたな、しているなと反省した次第。
今年の目標は人間的成長。
神様が鷹揚な心とはどういうものかと、身をもって教えてくださったのだろう。

そうはいえ、仕切り直しと、別の神社にお参りに行ってきた。
多摩川浅間神社
ここにも炊き上げの集荷場があったが、
宗教の異なるもの以外は受け入れてくださるとのこと。
ありがたいことだ。
松の内を過ぎたら正月飾りなど持参し、多摩川浅間神社に改めてお参りしたい。
posted by H.A at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親孝行の罠

生まれた時は、誰かの親の子で、気づくと誰かの親になる。
親になったり、子になったりで、両方の立場がわかるようになると、
世間で言われている常識はに疑問をもつようになった。

というのも、親孝行しなければならない、という考え方、これはどうだろう?
人を苦しめる考え方なのではないか。
孝行なんてのは、頼んでしてもらうものでもないし、
嫌々、しなければならないからするものでもない。

そもそも親なんて未熟で、未熟なあまりに絶対的に小さくて弱い我が子に、
ひどいことをする人もいる。
それは親は忘れても、子は忘れない。

よって、そんな人に孝行するよりは、
自分を磨いて、世の中のためになることをしたほうが良いのだろう。

もしも親孝行の呪縛に苦しんでいる人がいたら、
昔の私なら「親孝行しなければ!」と言ったと思う。
今の私なら、気にすることはない、を言ってあげよう。

子どもが「親を捨てる」と言ったとき、
その時に、わかった、体に気をつけて生きていくようにと、
笑顔で送り出せる親こそが、親のできる最後の子育てなのだろう。



と、最近、いろいろ見ていて思うのです。よ。
いろんな考え方がありますからね、私は上記のように考えている、というところです。
posted by H.A at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 追想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする