首都圏にあって地方にないもの、商店街だ。
地方では郊外型の大型商店や、駅前のスーパーにその商圏は覆い尽くされている。
それは大型商店の影響でもあるが、
商店街側も時代の変化に合わせた対応ができなかったところに要因があるだろう。
と固いことを書いたが、現在の住いの最寄りの駅を挟んで、あちらとこちらに商店街がある。
商店街が珍しくて嬉しくて、ついうろうろしてしまう。
駅のあちら側に八百屋さんが二軒あって、明らかに客の入りが異なる。
お客が多いほうが商品の回転がよいだろうから、
私も人の多い八百屋さんで買う。
特に最近の季節は、果物が豊富で、週に一度八百屋さんに行っては、
腕がちぎれるほど果物をたんと買って帰る。
我が家の食費におけるフルーツ係数は7割くらいをしめるだろう。
さて、客の少ない八百屋さんは、数人いるお店の人、皆が愛想がない。
昔ながらの「奥さん、800万円」などとべたな声掛けくらいしてほしいもんだ。
黙って商品を袋に詰め、黙って渡してくれる。
「沈黙は金」は八百屋さんには不適当だろう。
他方の客の多い八百屋さんは、外にいる中国人であろう男性が明るい。
「メロンどれが美味しいですか?」と聞くと、「いつ食べる?」と聞きながら選んでくれる。
スイカが大好物だから、スイカはもちろん、桃やサクランボやキウイや・・・などと
買っていると袋が三つくらいになるし重い。
すると男性は「重いから、気を付けてね」と言いながら渡してくれる。
こういう商店街の風景というのは、スーパー文化で育ったにもかかわらず
ノスタルジアを感じてしまう。
ノスタルジアというのは、自分の中でなく、外からの影響で作られるものなのかもしれない。