内田樹先生が、「インターネットは人間を変える」と書かれている。
というのは、恋をすると、恋の相手に自分の身の回りに起こったこもごもを伝えたくて、
日頃は見過ごす微々を細部にわたって覚えておこうとする。
そして、それらを「うん、うん」と嬉しそうに聞いてくれる恋の相手に、話す。
インターネットでの情報発信(ブログや、HP、FBもそうでしょう)は、これに似ていて、
「ふつう個人が頭の中であれこれ妄想している」ほとんど口に出されぬままのことを、
「受信し共感している人がいる」インターネット上に置いて、雄弁に行う。
ということを内田先生はおっしゃっている。
なるほど。
そして、インターネットというのは「なま」な自分ではなく「ヴァーチャル」な自分が作り出され、
受信側は「ヴァーチャル」な自分を相手に、反応してくれる。
なるほど。まさにその通り。
以上の内容は、『大人は愉しい』(2007)ちくま文庫 内田 樹、鈴木 晶著 の
「はじめに(pp.9-12)に書かれているモノ。
書籍は、東大卒で大学で教鞭をとっておられるお二人が、
HPを介して知り合ったことによる往復書簡の内容。
もとい。
「なま粟屋」を知らない人が、当ブログで私を知り、
その人の思い描く粟屋は「ヴァーチャル粟屋」である、ということはよく感じる。
「なま粟屋」は、疲れやすいので引きこもり、イジイジとしつこく、
考えても足らぬことを常時考えているので眉間にしわを寄せて過ごす時間が多い。
他方で「ヴァーチャル粟屋」は、明朗で、多くの人とコミュニケーションをとり、
楽しそうに仕事をしている、という具合ではなかろうか(推測ですが)。
(本ブログでは、人の悪口や批判、不平不満は書かない、というのをモットーにしているため)
唯一、「なま」と「ヴァーチャル」が同一なのは、
ほぼ毎日のように消費カロリー以上のスイーツを食べている、という事実でしょうか。
私としては、インターネットを駆使して情報発信をするということは、楽しくてかつ危険だと、いつも肝に銘じている。
上記のような「なま」と「ヴァーチャル」な自分の相違を楽しみつつも、
情報開示の範囲〈内容)をどこまでにするか、自分なりに線引きをしておかないと、取り返しのつかないことになる。
情報開示の対象は、インターネットである以上、これを読む読まないは別として、全世界の人々でしょうから(日本語に限られますが)。
ということを、改めて認識した次第。
ところで、当ブログを読んでくださったステキなママ友が教えてくださったが、
内田先生が昨年かな?、広島の某有名進学校である私立男子中高一貫校に講演にいらしたとのこと。
いいなあ。