長崎その1
http://bouchukan.seesaa.net/article/220702877.html今回の長崎行きの一番の目的は軍艦島上陸。
市場の衰退の跡を見たかったから。
軍艦島とは、炭鉱だった島で、最盛期には5200人が住んでいたらしい。
小さな島に、一つの街ができていたわけです。
昨春より、上陸が可能となり、私も「いざ軍艦島へ」と出かけたのです。
詳細はこちら NPO法人 軍艦島を世界遺産にする会
http://www.gunkanjima-wh.com/hashima.htmしつこいですが、長崎は雨。
天気予報的には、波の高さは2メートル。
長崎湾は見た感じ穏やかでしたが、軍艦島上陸船は欠航に。
他の日への変更もかなわず(結果的に他の日も欠航でしたが)、
いたしかたなく、涙を呑んで、苦渋の思いで、
軍艦島周遊船に乗り、「いざ軍艦島へ」。
定員200名の船に乗り、長崎湾を出港し、東シナ海へ。
長崎湾を出ると、ものすごい高波で、船が上下に揺れ、
船内はそれを楽しむキャーキャーという声が。
子どもも楽しそう。
しかし、軍艦島上陸船が欠航になったには、なったのわけがあったわけです。
軍艦島に近づくにつれ、波が半端ない。
そのうち船員の方が、汚物を入れるための黒いビニール袋を配る。
キャーキャーの声もしなくなる。
おそらく、ほぼ全員が船酔い。
この高波では軍艦島への桟橋に船をつけるのは無理と実感。
同時に、軍艦島での生活がいかに大変だったかを実感。
気分が悪い中、ようやく撮った一枚。
これは東側から見た図。

これは、西側からの島の形が戦艦土佐に似ていたことから、
戦艦島と呼ばれているので、撮らねばならぬと根性で撮った一枚。

この写真を見ただけで、あの時の船酔いが思い出されます。
船の上陸率は夏は低く、春は高そうなので、
次回船酔いのほとぼりが冷めたら、春にまた「いざ軍艦島へ」を
実現したいと思います。
それにしても、学生によく
「君たちは、今から社会の荒波に出ていくわけだから・・・」みたいな話をしますが、
荒波がどのようなものかを、穏やかな瀬戸内海沿いに住む私は、
全く理解していなかったことを今回は学びました。
荒波は大変さ。
生きていくのは大変さ。