先日、電車の中で懐かしい人に声をかけられた。
20代のOLの頃に習っていた茶道(裏千家)の教室で、先生の一番弟子だった女性だ。
当時、茶道の教室では、新年に新しい袱紗を購入していた。
袱紗が数枚、箪笥の中にあることより、私は数年は通っていたのだと思う。
その教室は、土曜日の朝10時から夕方5時までの間で、
自分の都合の良いときに行けばよい、というものだった。
一日を有効利用したかった私は、朝10時には伺っていた。
他の人は、午後からが多かったため、
私は自然と、先生のマンツーマンレッスンを受けることができた。
その先生は60代の女性の方で、所作が美しく、物腰も物言いも穏やかで、
同じ空間にいるだけで、清らかで荘厳な気持ちになれたものだ。
私は、その先生が大好きだった。
特に、その先生のご家族の話を伺うのが大好きだった。
先生は、銀行マンだったというご主人や、
すでに成人され独立されている長子のご子息、
嫁いで行かれたお嬢様の話など、
折に触れなさってくださった。
一昔前の日本の家族が皆そうだったように、
当然先生のご主人は家事や子育てなど一切なさらない。
先生曰く、
「子どもが小さいころにね、家族で出かける準備をするでしょ。
私が二人の子どもの世話であたふたしていても、
主人はね、悠々と煙草を吸っているだけなのよ。」
しかし夫婦仲がよくなかったかというとそうではない。
「主人が銀行員だったころはね、毎日お弁当を作っていてね。
たまに仕事で外食したら、『おなかがすいた〜』って帰ってくるのよ。
お弁当でないと、お腹が満足しないみたい。」
と話される。
それ以外にも、大学卒業後早々に嫁ぐことになったお嬢様が、
結婚式の前日に母親である先生のお布団にもぐりこんできて、
いろいろな話をしたことなど、
茶道のレッスンの合間に伺ったものだ。
普通の家族の話ではあるが、聞いてて心に優しい話だった。
私が言うのもおこがましいが、茶道というのは、
日本のあらゆる文化の総合体だ。
お点前、それに伴う茶器や茶筅などの道具、茶花、建物、歴史・・・
学ぶには膨大だ。
そうした茶道の世界と、先生の家族とが、微妙にマッチしていた。
まだ若かった私は、“生活の中の文化”を感じることに、喜びを見出していたのだろう。
いつの頃だったか、「次回はお休みをいただきます」と
先生にお伝えしたことを、
先生が「あら、そうだったかしら」とお忘れになることがあった。
そうしたことが何回か続いた。
先生もお年かな?と思っていたら、
体調を崩され、教室が何回かお休みとなった。
間もなく、お亡くなりになったと連絡が来た。
くも膜下出血か何か、脳の血管の病気と記憶している。
お通夜で、先生のお嬢様にお会いした。
先生に良く似た丸顔のかわいらしい女性だった。
茶道の教室で、先生はいつもお嬢様の話をなさっていました、と少しだけお話をした。
お嬢様のお腹は大きかった。
お母様がおられないなかでの出産、育児はどれだけ不安だろうかと慮られた。
茶道教室の友人が言うには、そうした家族の話を先生から聞いたことがないらしい。
生徒数が多い時間であれば、指導に追われ、家族の話などしている暇はないだろう。
先生の家族の話は、朝一番に行っていた私の最高の特典だった。
その後、茶道の教室は、冒頭に書いた一番弟子の方が先生となり、続けられた。
私も継続して通っていたのだが、出産・育児で時間的に余裕がなくなり、やめることとなった。
あれから時が経った。
お通夜の時に、先生のお嬢様のお腹にいた赤ちゃんは、
今は大学生くらいになっているだろう。
私はお点前の所作は忘れてしまったが、
先生から伺った家族の話は、
美味しいお抹茶と和菓子を味わう度に思い出す。

お抹茶をいただくのは今でも大好きです。
たっぷり点てて、カフェオレのようにいただきます。
茶室があつらえられた先生のご自宅に、もう一度伺いたいものです。